二酸化炭素を吸収する“海藻の森”をラッコが救う

海中に森のように広がって大量の二酸化炭素を吸収してきた海藻のジャイアントケルプが、カリフォルニア沖でウニの食害によって危機に瀕している。そこで米国の水族館が始めたのが、ウニの天敵であるラッコの個体数を増やすことで、この“海藻の森”を取り戻す試みだ。
二酸化炭素を吸収する“海藻の森”をラッコが救う
PHOTOGRAPH BY RANDY WILDER/MONTEREY BAY AQUARIUM

カリフォルニア沖の中には、海藻の一種であるジャイアントケルプ(オオウキモ)の“森”が広がっている。ジャイアントケルプは1日に30cmの速さで伸び、30mにまで成長する特性をもつ。

陸上の森が空気中の二酸化炭素を吸収するのと同じように、成長が速いこの海藻の森もまた水中の炭素を吸収し、気候変動の緩和において驚くほど重要な役割を果たしている。「ジャイアントケルプは大量の炭素を吸収します。一般的に、ジャイアントケルプの森は陸上の森よりずっと生産的で、速く炭素を吸収するのです」と、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の生態学者であるクリス・ウィルマーズは言う。

ところが18世紀以降、カリフォルニア沿岸のジャイアントケルプの森はムラサキウニによってどんどん食べられていった。ウニを捕食するラッコが、良質な毛皮を目当てに乱獲されたからだ(ほかの海生哺乳動物とは異なり、ラッコは分厚い脂肪ではなく密度の高い毛で体温を維持する。最も密度の高いところでは、1インチ=2.54cm四方あたり100万本の毛が生えている)。カリフォルニア沿岸に生息するラッコは、この200年余りで20,000頭から50頭にまで激減しているという。

ラッコの養子縁組

ジャイアントケルプの森を巡回するラッコの姿が消えると、海域に生息するウニは爆発的に増える。それまで岩の割れ目に隠れてデトリタス(生物由来の有機物)が流れてくるのを待っていたウニが、自ら果敢に餌をとりに行くようになるからだ。

「ラッコがいなくなるとウニが一帯を支配するほど増え、ウニ焼け(ウニの食害による磯焼け)が起こります」と、モントレーベイ水族館でラッコプログラムのマネジャーを務めるジェス・フジイは説明する。「海中がウニに覆われた岩と硬化した堆積層だけの世界になるのです」。米国の西海岸では、過去数年でウニの数が100倍に増えた場所もある。こうしてカリフォルニア州では、ジャイアントケルプの森の95%が消えた

こうしたなかモントレーベイ水族館は、何ともかわいらしい「養子育成プログラム」を2002年に立ち上げ、ラッコの個体数の回復に取り組んでいる。飼育下においたメスのラッコに、親のいない赤ちゃんラッコの世話をしてもらおうというのだ。

赤ちゃんラッコは、ホホジロザメに襲撃された際に親とはぐれてしまうケースが少なくない。なお、ホホジロザメはラッコを噛んで襲うことはあるが、毛皮より脂肪を好むので、実際に食べてしまうことはないという。

母親役になったラッコは、ラッコとして生きていくための技術を子どもに教える。毛づくろいの仕方や仰向けで海に浮かぶ方法、石を使ってお腹の上でウニを割る方法などだ。「人の手で餌をやったり、何かを教えたりはしません。ラッコの技術をラッコから学ぶのです」と、フジイは言う。「生後1日で当館へやってくるラッコもいます。自分のすみかについてまったく知らない状態です」

必要なことをひと通り身につけたラッコは、カリフォルニア沖の生息地に放される。この際にラッコには追跡装置を付け、最初の2週間は海上でうまくやれているのか注意深くモニタリングするという(モントレー湾の観察調査とこの追跡調査を併せれば、海域におけるラッコの個体数の把握にも役立つ)。問題がある個体は水族館へ戻し、もう一度“ラッコの学校”に入学してもらう。2002年~16年の間にこのプログラムで養育して海に返した37頭のラッコは、みな野生で育った場合と同じように元気に暮らしているという

こうして再び野生に放たれたラッコたちは繁殖し、やがて子どもが生まれる。初の試みとなるこうした取り組みの成果もあり、カリフォルニア沿岸におけるラッコの数は3,000頭まで増えた。

食欲旺盛なラッコは、極めて優れた生態系の“エンジニア”だ。体温と健康を維持するために、ラッコは体重の4分の1もの餌を1日で食べる。何度も海底へ潜っては、ウニやカニ、ハマグリなどの二枚貝を集めてくるのだ。

「ラッコは生きていくためにかなりの量の食べ物を必要とするので、生息域に多大な影響をもたらします。しかも、圧倒的に海にとってプラスの影響です」と、フジイは言う。なお、カリフォルニア北部の沿岸では別の「ウニの殺し屋」、すなわちウニ漁をする人間のダイヴァーを呼び戻す取り組みも進められている。

「ブルーカーボン生態系」の力

ジャイアントケルプの森は、主にふたつの点から生態系に欠かせない役割を担う。まず、ケルプの森は魚たちの住みかであり、その魚をアシカなどの海生哺乳動物や鳥たちが餌として生きている点である。

もうひとつは、ジャイアントケルプのような海藻が「ブルーカーボン生態系」と呼ばれる生態系の一部である点だ。ブルーカーボンは海洋生態系に隔離・貯留される炭素のことで、ジャイアントケルプは沿岸域や海洋域で炭素を隔離してくれる(湿地やマングローブ林もブルーカーボンを貯留する)。

しかし、健全なケルプの森が具体的にどの程度の炭素を取り込むのか把握することは難しい。例えば、セコイアの木なら数百年を経て巨木に成長し、長い時間をかけて大量の炭素を隔離する(その間に火災に巻き込まれなければの話だが)。しかし、海の中はもっと流動的だ。ウニを含むあらゆる種類の生物が少しずつジャイアントケルプを餌にし、ふんとして炭素を排出する。さらに波の力でケルプが削られ、破片が海底に落ちて分解され、貯留されていた炭素を放出することもある。こうしてジャイアントケルプの森は減少と再生を繰り返し、炭素の隔離と放出を続けてきたのだ。

炭素がどれくらいの期間にわたり蓄積されるのか、正確には把握しづらい。「ジャイアントケルプの行く末ははっきりわかっていません」と、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のウィルマーズは言う。「排出されたものが海底に沈んで1,000年もの間そこにとどまるとしたらどうでしょう。排出してすぐに分解されてそのまま大気中に戻ってくる場合と比べたら、炭素の貯留という点での恩恵ははるかに大きくなります」

不確定な要素があることを念頭に置いたうえで、ウィルマーズはカナダ国境からアリューシャン列島西端までの太平洋岸北部において、安定した数のラッコが炭素の吸収にどれだけ貢献するかを試算した。その結果、ジャイアントケルプの森が十分に成長し、吸収する炭素量の半分が深海に貯留されると、自動車500万台分の排出量の削減に相当することがわかった。たとえ貯留される炭素が吸収量の1%相当だったとしても、クルマ10万台分の排出量に相当する量が削減されるという。

豊かな生態系がもたらす多様なメリット

モントレー湾のラッコが守るのは、ジャイアントケルプの森だけではない。ラッコは大規模な潮間帯湿地であるエルクホーン湿地帯へもやってきて、アマモ(同じく炭素を隔離する海草)の繁殖も促している。

ただし、ラッコのアマモに対する影響はもっと間接的なものだ。ラッコはカニを食べ、カニはウミウシなどの無脊椎動物を食べ、ウミウシはアマモに生える藻を餌とする。それゆえ、ウミウシを餌にするカニの数が減ることは、アマモにとっては都合がいい。ウミウシが藻を食べてくれることでアマモは清潔を保て、日光を十分に吸収できるようになるからだ。ラッコの個体数が回復したおかげで、エルクホーン湿地帯のアマモは過去30年で6倍に増えているという。

マングローブ林やエルクホーンのような潮間帯の湿地は炭素を大量に貯留する。「こうした海洋生態系は、陸上の生態系の最大10倍のペースで二酸化炭素を吸収します」と、非営利の環境保護団体であるコンサベーション・インターナショナルで海洋科学およびイノヴェイション担当ヴァイスプレジデントを務めるエミリー・ピジョンは言う。「炭素は海中の植物が根を生やす土壌の中に蓄積され、1,000年に及ぶ長期間にわたって貯留されます。つまり、海では陸上よりも深いところで炭素が豊富に蓄積される密な生態系があり、それゆえ陸に比べて豊富な量の炭素を保持できるのです」

湿地の回復は違う意味でも生態系に重大な役割を果たすと、モントレーベイ水族館の海洋保全戦略担当ヴァイスプレジデントであるエイミー・デヴィッドは指摘する。「こうした生息地は、嵐による被害の緩和や食料生産、ろ過作用による水質浄化といった意味でも必要です」と彼女は言う。「河口地帯にあるエルクホーン湿地帯でラッコが果たしてきた大きな役割がそれです。エルクホーンは農業を含むさまざまな産業に利用されてきた悪例として知られていますから」

健全な生態系は持続可能な漁場の維持にもつながり、地域のコミュニティに生活の糧をもたらす。加えてモントレー湾のラッコたちは、そのかわいらしさゆえにまた別の恩恵を運んできてくれた。見物にやってくる観光客と、観光客たちが地域に落としてくれるお金だ。

こうして連鎖的にもたらされる利益があるからこそ、環境保護活動家はこぞって自然に根ざしたブルーカーボン関連の対策を打ち出し、生態系を回復し気候変動に対抗しようと取り組んでいる。こうした取り組みは地域の住民、気候、生態系のすべてにとってプラスになるのだ。とはいえ、ウニとカニたちにとってはありがたくないかもしれないが、これらの生物が多少減ってもあまり惜しまれはしないのではないだろうか。

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TEXT BY MATT SIMON

TRANSLATION BY NORIKO ISHIGAKI